言語学はサー・ウィリアム・ジョーンズに始まった。似ている言葉を持つ二つの言語があって、言葉の似通い方に法則性があれば、二つの言語は共通の祖語から分かれたという考えが出された。ジョーンズ以降に組み立てられた「比較言語学」の考え方である。ジョーンズは十八世紀の人である。
フェルディナン・ド・ソシュールが次の言語学の巨人である。十九世紀から二十世紀初頭の人である。「一般言語学講義」の中で、話される言葉だけを解析すること、「共時的」研究をまず優先すべきこと、などを主張した。研究を通して、言語をラングとパロールに分け、ラングは世界を分節したものであるとした。ラングはその一つ一つはシーニュと呼ばれ、シニフィアンとシニフィエに分けられる、その両者の関係は恣意的であるとした。シーニュによる世界の分節の仕方も恣意的であるとした。これが二種類の恣意性である。
ノーム・チョムスキーが次の巨人である。文は形態素に分けられ、形態素は音素に分けられる。言語のこの「二重分節性」により、人間の言葉は無限の文を生産できるとされている。
まとめ切れなかった分については、あとで書きこみする。
ノーム・チョムスキーは、子供に与えられる言語資料をはるかに越えて個々人は豊かで豊富な知識を持ち、それらが同一言語共同体でほぼ均一であることから、[帰納して]普遍文法と言語獲得装置が、人の頭中には備わっていて、
、その普遍文法を用いて無限の文を作りだしていくと主張した。この人間の言語獲得の特有のしくみを「生成文法」と呼ぶ。
その結果、文は動詞を中心に構成され、その構造はすべての言語にとって普遍的であることが分った。
しかし言語能力が先天的なものかどうかは結論が出ていない。
次いで「言語の特徴と機能」において、次のような特徴があることが述べられた。
①形ある記号を用いて情報を伝える
②転位性(転移性・超越性)がる。だから嘘をつく
③
無限生産性を持つ
④二重分節性を持つ
⑤パターン性を持つ(構造を持つ)
⑥二つの恣意性を持つ
シーニュによる世界の分節の仕方の恣意性とシーニュ内のシニフィアンとシニフィエの結びつきの恣意性の二つである。
⑦文化伝承性
⑧非連続性
言語学の考え方
観察し、記述し、観察された現状を説明しうる「規則」を見つける。規則が合わなくなったら、「規則」を改める。
その延長線上に「ら抜きコトバ」はある。日本語教育において、[「規則」はどうも教えるべきものとして扱うようだが]「規範」(観察して自分で作った規則のように私には思われる)は教える必要があるのか、は考えてみる必要がある。
リフレーン
日本は原爆をもとう。
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