豊丘時竹の続続「平素の戯言」

エッセイでもコラムでも随筆でもなく、ミセラニーです。

日ソは共に被害者 

 太田述正コラムからコピペ(太字一部を赤字)する。コラムのURL(イタリック)と書誌的事項はコピペの直前に置く。


URL;http://blog.ohtan.net/archives/52248235.html

太田述正コラム#8578(2016.8.30)
<皆さんとディスカッション(続x3085)>
 昭和戦前期に関しては、もちろん日本にも反省すべき点はある。外交面でその最たるものが日独伊三国同盟の締結だろう。「現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国」に攻撃された場合、三国はあらゆる方法で相互に援助する(第3条)としたこの条約は、事実上、米国を唯一の対象としており、米国内でも正しくそう受け取られ、不必要に反日感情を高めた(三国にソ連を加えた四国協商とし、さらに対米牽制(けんせい)効果を強めるというのが松岡洋右外相の構想であった)。

ソ連も四国協商に乗る気だったのに、ヒットラーが愚かにも独ソ戦を開始して全てがパーになったんよ(コラム#8573(未公開))。日ソは共にその被害者。(太田)
 あくまで防御同盟であるにせよ、あの非人道的なナチスと組んだという事実は、日本史に消せない汚点として残ろう。積極的に推進した松岡および外務省「革新」派の責任は大きい。・・・

日独伊三国同盟締結時(1940.9.27)には、まだナチスドイツはホロコーストに着手しておらず、ユダヤ人をマダガスカル島に強制的に送り込む計画こそぽしゃりつつあったものの、まだ、次の方針は決まっていなかった。/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

 もとより、ユダヤ人差別はあったわけだが、それと、同程度にひどい黒人差別が同時代の米国にはあった(コラム#省略)わけであり、この時点でナチスドイツ(だけ)を非人道的とみなすことなど無理ってもんだわ。(太田)

 リフレーン
 防衛キャリア30年大田述正
 最大の安全保障はアメリカからの独立
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 リフレーン2
 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)